越境する教師たちを起点に、社会をもっと面白くするべく、日々活動を続けている「越境先生」
この記事では、「メンバーズボイス」として、そこに集うメンバーが、どんな背景や思いを持って参画しているのか。その声をご紹介します。

教員としての越境経験が育てた複眼的な教育観
私は仙台で高校まで過ごし、視野を広げたいという思いから関東の大学へ進学しました。
そこで多様な価値観に出会い、複数の教員免許を取得したことが、教育を多面的に捉える出発点となりました。
教員としても小中学校6校に勤務し、教務主幹として、授業、部活動、保護者対応、若手育成、学校運営、相談支援など、様々な活動に関わってきました。
校種・自治体・役職の境界を越えて経験を重ねる中で感じたことは、どの現場にも独自の価値がある一方で、
そこにいるだけでは見えない課題が確かに存在することです。
そして、その解決のためには、働き方改革が必要であることも強く感じるようになりました。
学び直しがもたらした視点の転換とキャリアの再構築
—— 教育界に一石を投じたい。外側からもっと多くの人を支えたい。
その思いが高まり、40代前半でいったん公教育を離れ、大学院で学びに専念するという大きな決断をしました。
この決断は、周囲から取り残されたような不安もありましたが、キャリアブレイクで得られた「立ち止まって考える時間」は、私の教育観を深く更新する契機となりました。
その後、縁あって自治体教育相談センターで相談員を務めた経験も、私の視野と実践に厚みをもたらす大切な学びとなりました。
境界に立つ「マージナルマン」としての役割
保育者養成の専門学校教員として、再び越境したことで、教育の多様性と奥行きを改めて実感しました。
こうした歩みの中で強く感じるのは、教育は境界の連続であり、だからこそ越境が必要だということです。
現場と研究、学校と地域、幼保小中の制度、実践と理論 。
どれか一つの視点だけでは、教育の本質には届きません。
年齢もルーツも異なる学生の「今」と向き合いながら、同時に大学院で研究を深める――
この現場と研究の往還は、私にとって自然で、何よりも豊かな学びの源になっています。
私は、自分の立ち位置を、文化の異なる複数の集団や社会に属しながらも、そのいずれにも完全には属しきれない、境界にいる人=「マージナルマン」だと思っています。
幼保小連携、小中連携、教務主幹としての役割、そして現在は研究者と実践者をつなぐ研究的実践者としての役割。
どの領域にも深く関わりながら、同時にどこかの境界に立ち続ける。そして、その双方をつなぐ――
私は、その周縁性こそが、新しい学びを生み出す力になると信じています。
越境先生で「自分と社会」を同時にアップデートする
越境には、ときに勇気が求められます。
しかし境界の向こう側には、必ず新しい景色があります。
私自身、その景色に何度も救われてきました。
振り返ると、これらの出来事の多くは偶然の連続であり、まさにキャリア理論におけるグランボルツの偶発性理論が示すように、予期せぬ出会いや経験が私のキャリアを豊かに広げてくれたのだと実感しています。
「越境先生」は、年齢、性別、居住地、職業、教育との関わり方を問わず、多様な人々が対等に語り合い、批評ではなく協働を大切にするコミュニティです。
ここでは、立場の違いが分断ではなく資源となり、経験が交わることで新たな教育の可能性が立ち上がってきます。
その意味で、越境先生での活動は「自分のため」であり「社会(教育)」のためでもある、と感じています。
これからも、自分の歩みそのものを越境の実践として位置づけながら、
「働き方改革応援団」
「越境応援団」
という二つの肩書きを胸に、皆さんとともに明日の日本の教育を支えていきたいと思っています。